story

ストーリー

「たまごのお店 むこたま」のルーツには、創業者の「家族を思う愛情」があります。
それは「養鶏にかける情熱」が生まれるきっかけにもなりました。
そもそも、なぜ養鶏を始めることになったのか。
そこにはどんな出来事や思いがあったのか。
はじまりのエピソードをお送りします。


ちょうど日本が高度経済成長機を迎えていた頃
創業者である啓四郎(現代表の父)は
妻とともに農業を生業とし
様々な野菜を作っていました。

ところがある日、その妻が入院することになり
畑仕事ができなくなってしまいました。

彼には妻の他にも、幼い子供たちと
身体が不自由な親がおり
家族計8人を支えていく必要がありました。

農業をたった1人で行い、生計を支えるには
厳しい状況に直面しました。
妻の病気に加え、今後の生活の不安から
家族の元気もなくなってしまいました。

「何か新たな活路は見出せないものか…」
窮地に立たされた啓四郎は、
途方にくれてしまいました。

そんなある時、入院中の妻が
たまごが大好きだった事を思い出しました。

新鮮で栄養満点のたまごが毎日手に入ったら
妻が喜んでくれるんじゃないか。
家族みんなも元気を出してくれるんじゃないか。

そしてそれは
世の中の多くの人の役にも立てるんじゃないか。
この厳しい状況を打破できるのではないか…
そう考えました。

藁をもつかむ思いで
ヒヨコを100羽、飼ってみることにしました

当時、たまごは貴重な食材であり
鶏の飼育もうまくいくかはわかりませんでした。

鶏について必死に勉強し
試行錯誤に明け暮れること数ヶ月。

成長して鶏になったヒヨコたちは
おいしいたまごを産みました。

それは、啓四郎の努力に答えるような、
質の高いたまごでした。

妻や家族も、彼の期待通り
とても喜んでくれました。

手探りで始めた養鶏でしたが、たまごは
周囲の人たちにもとても好評で、
評判を呼びました。

嬉しくなった啓四郎は
もっとたくさんの人に、このおいしいたまごを
食べてもらえたらと思いました。
そこには、使命感のような情熱が
生まれていました。

うまくいった経験を活かし
飼育の改善や専門家への相談などもしながら
鶏の数を1000羽、2000羽と増やしていきました。

そして8000羽になった頃には
養鶏が彼の立派な本業となっていました。

時は流れ、

1990年に、向台ポートリーが設立され
2014年には直売所「たまごのお店 むこたま」がオープンしました。

現在は、その精神を受け継いだ家族、
社員やスタッフたちが
役割を担っています。

「たまごのお店 むこたま」は
創業者の、家族を思う愛情と
周りの方々にも喜んでもらいたいという気持ち
から始まりました。

時を超え、形は変われど
その精神は変わらずに、現在に至っています。
私たちは、このはじまりのエピソードを胸に
これからも歩みを続けます。